ツアー発表、そして。。。過去を遡る編
秋からのツアースケジュールが本日発表になりましたね(^-^*)。
こんなこと、初めてかもしれません。
ツアータイトルはまだ記載されていませんでしたが、恐らく
アルバムタイトルのツアーになるのでしょうね

21箇所33公演 だそうです。

のスケジュール詳細はこちら → (☆)
予想通り?9月からのスタートです(^_-)-☆。
そして、こちらも予期してた通り、今回は少し例年よりショートバージョン
の日程になっていますね。
9/1に川口を皮切りに、12/24の名古屋センチュリーでFINALとなっています。
ざーーーっと日程に目を通したところ、すでに行きたい場所が何箇所か
行かれない予定( ̄_ ̄ i)タラー。
毎年出かけていた初日(2日目も)行かれないですし、大好きな福井にも
行かれません〃;_;〃グスン。ショック

でも名古屋でファイナルを迎えられるのはうれしいですね~。
→といってもこちらもチケット争奪戦になることは必至な訳で

行きたいなぁ~。行きたいよ~う。
年内は、VOCALIST VINTAGE で染まりそうですね。
気が早いけど紅白は『上を向いて歩こう』かな・・・と早くも思ってますが
まだ決まっていませんが。
5/9リリースの『人形の家/夢は夜ひらく』も発売までもうすぐ
ですね

それに先駆けて今日から、着うた先行配信も始まりました

詳細こちら → (☆)
今回のアルバムについて、ご本家の弘田三枝子さんのオフィシャルblogにも
先日紹介されていました → (☆)
これまでにも研ナオコさんやちあきなおみさんがアルバムの中で
カバーされているんですね。
今回のアルバムは、60年代終わりから70年代はじめの楽曲が中心に
選ばれています
どうしてこの時代の歌にこだわったのか、いろいろ分からないことも多く
調べてみました。
人形の家は、1969年7月1日にリリースされたようです。
徳ちゃんが1961年の2月生まれなので8才の時。小3の時に
聴いたことになるのでしょうか・・・。
チャートは1位を記録。オリコン年間順位18位。
第11回日本レコード大賞歌唱賞を受賞しています。
弘田三枝子さんについて調べてみると。。。
1961年14歳でレコードデビューし、敗戦後の日本で
アメリカンポップスの全盛期を支えた数少ない実力派歌手である。
アメリカンポップスでのヒットは数十曲にのぼる。
1965年7月には、日本人歌手(アジアの歌手)として初めて、
アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。
小2の頃より、米軍の駐留キャンプでジャズを歌っていた
その実力が評価されてのものであろう。
その後、ジャズ、ポップスに続きR&Bという新たなジャンルにも
挑戦した
と紹介されています。
弘田さんはジャズシンガーなのですね。
その他に、今回VINTAGE に収録されている他の曲も
調べてみました。
なにぶんよく分からないため、間違えていたらご指摘どうぞお願いします。
※私自身、オリジナルにつきましては発売までは聴かないように
しています
1937年
別れのブルース(淡谷のり子)
1960年
再会(松尾和子)
1966年
悲しい酒(美空ひばり)
1967年
虹色の湖(中村晃子)
1968年
恋の季節(ピンキーとキラーズ)
伊勢佐木町ブルース(青江三奈)
ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ)
夕月(黛ジュン)
1969年
真夜中のギター (千賀かほる)
人形の家 (弘田三枝子)
愛の讃歌 (越路吹雪 ステレオ録音)
→1949年フランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフの歌。
Hymne à l'amour(イムヌ・ア・ラムール)。
1970年
圭子の夢は夜ひらく(藤圭子)
1972年
北国行きで (朱里エイコ)
1974年
酒場にて(江利チエミ)
今頃気づきましたけど、「上を向いて歩こう」はアルバム通常盤には
収録されていないんですね?
初回盤Bにのみボーナストラックで ストリングスバージョンのものが
つくようです。
へ~ そうなんだ~。
ちなみに「上を向いて歩こう」は、1961年の作品です。
日本の高度経済成長期とは、
第一次が1954年12月から1961年12月。
転型期が1962年1月から1965年10月。
第二次が1965年11月から1973年11月なんだそうです。
え こんなハッキリ決まってるんですね??何月とかまで?
1964年は東京オリンピックの年でしたよね。
アポロの月面着陸が1969年。
1970年に大阪万博ですか・・・。
カラーテレビが1960年に開始し、東京オリンピックの年に電機メーカーが
力を入れ始め、1968年にNHKが契約とあります。
なんだか調べてると、ALWAYS3丁目の夕日’64みたい。。。
60年代後半から70年代前半というと、徳ちゃんの幼稚園~小学生時代に
触れた音楽ということになりますね~。なるほどぉ・・・。
まさに徳ちゃんの少年期。
これらの楽曲を、TVやラジオから聴いて日常を暮らしていたのですね~。
ご両親・弟さんと共に親しんでいた歌。。。
それは私に置き換えて言うと、さださんやジュリー、渡辺真知子さんなのかな。
よくうちで流れてたもの。
あ、でももっと前の記憶だと、父親の影響で加山雄三のベストみたいな?
レコードやカセットとクラシックなどが(笑)入り乱れて、
始終家の中で流れてた記憶もあります(^^ゞ。
私が当時、徳ちゃんの同じ年のころ好きだと意識して聴いてた、
最初の歌手がピンクレディーだったかなと思います。
スーパーへ行くとピンクレディーのついた商品がたくさん陳列されてて
シャンプーとか買ってもらった記憶がある(笑)。
近所のお兄さんがキャンディーズが解散しちゃうんだって大騒ぎしてた
ことも思い出す。
初めて買ったレコードがダンシングオ-ルナイトだったこと。。。
→我ながらシブイ小学生だったけど(笑)関係ないけども(*´∀`)クス
時を同じくしてハマったアイドルが聖子ちゃんでした。
ここからはよくお小遣いをためてレコードを買っていたな~とか。
たしかに少女期に触れていた音楽って、今でも特別な感じがしますね。
特に親と一緒に共通で聴いていた音楽って、その時代の空気感やら
リアルに蘇ってきますね。
あの日の食卓の風景とか、匂いとか~ 。。。
少年・少女期って ほんの数年違っただけでも
全然覚えてる音楽が違うんですよね。
それだけ幼い頃の年齢差は大きく感じます。
今の年になってしまったら、もう5年くらいの束で語ってますけどネ
少年期って 音楽の原点なんだ。。。
徳ちゃんのホントの意味での原点回帰なのかな。
下の日記にも書きましたけど、まだ少し私自身も動揺があります。
それは否定しません(^┰^)ゞ。
たぶん選曲が昔過ぎて想像できてないのだと思う。。。
私のみならず今回はいつもの徳友さんたちも一様に動揺しているようですが。
以前ツアー中にムード歌謡のお話されてたんですね。
お友達のブログでいつ話したのか先日知って(→あいちゃんありがとう)
私もちょうど参加していたライブだったのでつい先程MYレポ確認してきました~
あった あった ありました~~~
まさに、ムード歌謡についてまんま語ってます!徳ちゃん。
以下その部分を自レポより抜粋します!!

別れのブルースを歌われて、会場は一気に昭和の香りに
包まれました。
今回はステップもあまり踏まれずに、2番歌詞の終わりで
セクシーな あ~ん の吐息はありましたよ(´ェ`*)ウププ 。
小さい頃から、別れのブルースを口ずさんでいたという徳ちゃん。
少しかすれたセクシーな声で「伊勢佐木町ブルース」も歌ったり。。。と。
あのセクシー部分もちらっとね。
実はVOCALIST1の次は昔懐かしい曲。。。「伊勢佐木町ブルース」とか
「夢は夜ひらく」「ブルーライトヨコハマ」などのムード歌謡をカバーしようと、
本気で思っていたお話されていました。
その話が本格的になってきたところで、ちょうどその頃明菜ちゃんが
そういうカバーを出すってことを漏れ聞いて、急遽やめたのだそうです。
あれがムード歌謡だったら、VOCALIST3や4がその後出てたかどうかは
分からない・・・
つまりはその瞬間瞬間の選択で人生はどう変わるか分からない、
”人生って不思議ねぇ~っ”てしみじみとおっしゃってました。
一瞬待ってやったこと、やらなかったこと、それでその後の人生が変わってくって。
人生には何が起こるか分からない。。。って。
前にも埼玉のスーパーアリーナでお話されてたことにもリンクしますが。。。
瞬間を大事に生きてゆくこと。。。
自分で大丈夫だと思って生きていけば、ほんとに大丈夫なんだ。。。と。
今が、その時 なのでしょう

今、徳ちゃんから発せられるメッセージに強い意志と覚悟を
感じています。
早くメディアに登場しないかなぁ。。。 徳ちゃん。
ムービーメッセージでもいいから早くお逢いしたいですね

今の想いをリアルタイムの声でいっぱい聞かせてほしいです

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※以前こちらで鍵付きでやっていたものをインスタへ移行。
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