しています。
教科書、洋服、おもちゃ・・・ もちろん捨てられない思い出の品もたくさんあるけれど。
そんな中、どうしても片づけを脱線してしまい

ちら見したりしてね

そこで目に留まったのは、久しぶりに見る『Hello』って、FCからいただいた冊子。
こちら ↓

調べたら、これは PRiSM vol.64 についてきたもの。
2009年9月に届いた会報でした。
中身は「赤い太陽の日 Ⅶ」が中心。そう、赤太のファイナルですね。
もちろん冊子の存在も覚えていたし、赤太ファイナルの日も
そんなに前という気はしてないんだけれど・・・。
ちょうどオリジナルアルバム「WE ALL」がその年の5月に発売されて
その後8月19日にシングル「Hello」が発売された年。
当時は、ヤマザキ「ふんわり食パン」TVコマーシャルでもよく
流れていましたよね

いまだにこのパンのファンで、朝食べてますけどね。
4月に「砂時計」が発売されてたから、この年は頻繁にCDが
発売されてたことになります

この「Hello」が出来上がった頃の気持ちは会報にも書いてあるし
こちらの小冊子にも書かれてあります。
最初は「WE ALL」のために書いた曲だったそうですが、
出来上がってみると、他よりもひとつ抜きん出ていて メッセージ色も
強かったので、シングルで出すことになったみたい。
サビのメロディーと同時に Hello という言葉が降りてきて
そこから詞の世界が広がったそうです

PV撮影中スタッフさんから拍手も沸き起こったとか・・・。
徳永英明さん『Hello』の歌詞
ライブステージで歌われるたび、幸せな前向きな気持ちなれる曲

大好きです

話は戻り、この小冊子「Hello」は、実はオフィシャルHPのCLIP BOARDの
ページにコラムとして、徳ちゃんが連載されていたものを
のちに1冊にまとめたものです。
現在有料サイトにご加入中のみなさまは、2009年7月27日に遡ってみて
ください

8月9日までに、全部で6回更新されました。
1986年の夏に遡った所から始まり、現在(2009年)までの自叙伝です。
これを書き上げたことで、もうこれ以上過去のことは書く必要はなく
より前を向いて行こう!という気持ちにたどり着き、いい区切りができたと
当時の徳ちゃんはおっしゃってました。


「Hello」のコラムを読んでいると、2017年の今となっても
いろんな想いがシンクロしてきます。。。
そういえば、先日見直した「地球劇場」で語られていた話。
何度か実際にも聞いていますが

「輝きながら・・・」で歌のトップテンに出た時、外には光GENJIのファンが
溢れていて。
裏口からそこを通って帰らなくちゃならないんだけど、
当時の社長さんの車がボロボロで、それを光GENJIファンに見られるのが
恥ずかしくって、
『嫌だー こんなボロボロの車!!格好わるすぎるー!!』と叫んで
後部座席にあったボロボロの毛布に包まって隠れて走りぬけていった話
なども書かれてありました。
その後、90年に事務所を独立した時の話。
何もかもをすべてを自分で完璧にやろうとしているうちに、精神的にも
体力的にもバランスがくずれてしまった時のこと。
そして、Nostalgiaで引退を考えていた時の話。
2001年に倒れた時のこと。でもその時は徳ちゃん自身には確実な
次の一歩が見えていたこと。
2シーズン休んでいた時のこと。
過去ー現在ー未来 のすべての自分を楽しめるように・・・。
自分は何故生かされているのか? その意味について。
以前のように何でもひとりで背負い込むことをやめ、マネジメントは他の人に
すべて任せることに変えました・・・。
そしてVOCALISTとの出会い。
それを機に意識改革を行って、言葉遣いもトークの内容も雰囲気も以前とは
かなり印象が変えられました。
印象的だったのは、
自分自身を変えようと、または変わらなければいけないとき
必ず体調に異変が訪れる
というくだり・・。
私自身も時折ここで話してますが、20周年ツアーの神奈川県民ホール
の日の話。
これって文面ではBeautiful Balladeツアー ってなってるけれど、
私は「Beautiful Symphony 」ツアーの方だと思ってます。
何故なら前日のフォーラムでのコンサートにも私は参加していたけれど
その日は最後まで喉の調子が悪く思うようにはいかなかったから
ものすごく心配した気持ちでカナケンに参加していたのを覚えているので。
2006年の後半は、徳ちゃんの喉の不調が続いていた時期でした。
そのカナケンの第一部では、前日同様声が思うように出ずに
心配して時間は過ぎてゆき、第二部の幕が開いた途端、
会場は(約束していたわけでもないけれど(笑))全員総立ちでお出迎え!
ファンの大声援に後押しされるように、気迫さえ感じられる神の歌声に
なって徳ちゃんが帰ってきたこと。
あの日のライブは今思い出しても鳥肌で、いつまでも印象的で、
私のBEST5に入ってます。
徳ちゃんの声が生まれ変わった日・・・。
そして、さいたまスーパーアリーナFINALで起こった電気系統のトラブルの話。
(一部私のライブレポートより抜粋 )
この歌の後・・・ 実は再び機材トラブル発生・・・。
徳ちゃんがスタッフさんに気を遣われて、
「照明さ~ん。スタッフが作業するんで明かり落として、僕だけ当てて・・」って。
ステージは真っ暗になって、徳ちゃんにだけピンスポ。
トラブルが起きたらしい場所を避けて一番遠いステージの右端へ
徳ちゃんだけ移動。
そのトラブルの間、優しい語り口調で場を繋ぐ徳ちゃん。
ここで、2001年のお話が出たんでしたね・・・。
その前までは、自分のためだけに歌を歌っていたところがあるけれど
その2001年(病気)のことを境に、「僕は生かされてるんだ」って。
「歌うことが使命なんだ」とおっしゃっていました。
あの時、徳ちゃんはビッグチャンスが訪れたと思ったそうです。
このお話は、フォーラム、センチュリーで ずっと話されていた言葉に
通じてます。
でもね・・・ 今回はあの時ほど具体的な話し方ではなかったですね。
なんていうのか、昨日は機材トラブルもあって きっといっぱい耳元で
指示が飛んでたと思うんですね・・・。
その声をキャッチしながら、少々動揺もしつつの・・・ でも
ステージに立っていらっしゃる以上、徳ちゃんがすべて進行して
いかなくてはならないし・・・で、気持ちがあっちこっち大変だったと
思います。
だから、伝えたいことは本当にシンプルな言葉で、「ありがとう」って
気持ちにすべて繋がっていたんだと思う・・・。
多くを語らずとも、私たちの胸にはちゃんと徳ちゃんの気持ちが
届いてましたよ~(^.^)。
そうこうするうちにようやくGOサインが出たようで・・・
「あ・・・ 歌える」って('-'*)。その言い方がツボでした。
先ほどは右端ばかりで話されてたので、こちらもね・・・って
私たちの方の左端にもお姿を見せに来てくださいましたよ。
こんなギリッギリのところにまで お客さん座ってくれてるんだねぇ~って、
上を見ながらうれしそうでした。

徳ちゃんは、それぞれの日のことを・・・
迷うより歌おう
歌はきっと導いてくれる
って、表現されてました。
なんか、30周年だった2016年のことを思った時、これらすべてのことが
再び蘇ってきてしまって。
きっと徳ちゃんは、(徳ちゃんの言葉を借りれば) 「お試し」と思われていて
ここからまた新しい徳永英明の姿を私たちに魅せつけて下さるんじゃないかって
思ってます

それにしてもやっぱり徳ちゃん、波瀾万丈ですよね!
徳ちゃんにしかできないこと、徳ちゃんだからこそできること
これからも徳ちゃんの思いに生き様に 私の思いも乗せて、
どこまでも共に歩み続けていきます。
今は新しいアルバムのレコーディング中。
これまで書き溜めていた曲がたくさんあると以前からおっしゃってますが
2016年を越えて、新たに書き加えられた言葉やメッセージもきっと
ありますね。
徳ちゃんがよくおっしゃってる話で・・・、
あの時はそこまでよく分かっていなかったことも あとになってから
あぁ・・・ そういう意味だったのか と自分の詞に気づかされる って。
すべては 必然 って言葉も同様によく使われてます。
その 出逢いは”必然”って意味に、徳ちゃんのこれまでの生き方を重ねた時
深く頷いている自分がいます。
すべてには意味があり、繋がっているのだ・・・と。
徳ちゃんの決してブレない思い、生き方、前向きなところ
尊敬しています。
あーーー、ちょっと書くつもりがこ~んな長文になっちゃっいました

まあー いつものことですけれど

長文にお付き合いくださった方、ありがとう~

ユニバーサルシグマより
- 関連記事
-
-
【追記】SONGS(5/25)にコメント出演! 2017/05/24
-
Hello 2017/04/20
-
【追記】「地球劇場」流れました 2017/04/07
-
別部屋(星☆管理人)
星☆管理人 Instagram

※以前こちらで鍵付きでやっていたものをインスタへ移行。
非公開になっているためこちらを読んで下さっている方で徳永さんのファンの方は先にリクエスト下さい(^-^*)ノ
https://www.instagram.com/kibou_hoshi/